病院案内

認知症のはなし

当院の医師2名が、広報紙「ひだまり」に執筆した認知症の話です。少しでも皆様のお役に立てばと思います。

認知症あれこれ

2013年5月号〜掲載中
執筆:医師 本田肇

認知症のはなし(全8話)

2011年5月号〜2013年3月号掲載
執筆:院長 藤田文博


認知症あれこれ(8)

尊厳を守るには

 芥川龍之介の「河童」という作品では、お腹の中の胎児が父親に「生まれたいか」ときかれ、胎児は「うまれたくない」と答えます。当たり前ですが、人は生まれるときは、希望を言ったりもしませんし、心の準備とか覚悟とか決めて「よし!」と生れ出るわけではありません。生まれ出てからは責任や義務を背負いながら自分の意志で行動を決めて日々を暮らしていくようになります。病気になった時にどんな治療をうけたいか、あるいは受けたくないか、あるいは死が身近にせまってきたとき、何をしておきたいかなども、運がよければ意志表示や準備、心構えをすることができます。認知症の方の抱く苦悩、あるいは認知症をわずらうことへの不安は、この「自己決定」ができなくなることからくるものが大きいのではないかと考えます。徘徊を始め、火の不始末があり一人暮らしはさせておけない家族から施設への入所やヘルパーをすすめられると、「自分でなんでもできる」「なんで家を出ないといけない。」「ヘルパーなんか要らん。」「どこも悪くない、病院なんかいかん」「なんで薬を飲まんと行けんの」と拒否や怒りをぶつけてくる認知症の方は、この「自己決定」の権利が侵される脅威にさらされているのです。寝たきりとなり言葉での意志疎通ができない状態まですすんだ認知症の方が介助をしても口から食事ができなくなって、胃ろう(お腹から胃に通じるトンネルをつくり、そこから流動食をとってもらう方法)をつくるかどうかご家族と相談することがありました。あるご家族は胃ろうを作ることを選択され、あるご家族は、選択されませんでした。どちらのご家族もご本人のことを思い、ご本人と向き合いながら、何度も私たちと相談をかさね、考えに考えた末にだされた結論でした。「ワンダフルライフ」という映画があります。死んだ人が死後の世界に行く前にある施設にとどめ置かれ、人生で一番大切な思い出を一つだけ選び、施設職員によって映像化された思い出だけを胸に死後の世界へと旅立っていくというストーリーでした。そんなサービスがあるとうれしいですが、大切な思い出をダイジェストで映画してほしいと思うのは私だけでしょうか。

認知症あれこれ(7)

身体的な不調が原因なこともあります

認知症が広く知られることで、「もしかして認知症ではないか」とうたがって早い時期に病院を受診される方は増えています。何か不調があるときに認知症を疑うこと自体は必要なことですが、実際は身体的な不調が原因であることも少なくありません。その実例をご紹介します(※)。一人目は70歳女性、数年前から有料老人ホームで生活されている方です。1、2か月前から、ぼんやりして元気がない、物忘れが目立つようになりました。かかりつけの病院はありましたが、もしかして認知症では、とご家族が心配して、当院を受診されました。確かにものわすれの検査でも記憶力の低下や野菜の名前がすぐ出てこないという認知症でみられる症状が確認され、頭部CTでは、軽い萎縮がみられました。この半年は血液検査をしていないとのことで、検査をしたところ、数日後の結果を見てびっくり、ひどい貧血で正常の半分以下という値でした。内科で胃カメラをしてもらい、食道に出血が見つかり、貧血の薬と胃酸を抑える薬を飲むことになりました。もう一人の方は80歳の男性です。1週間前から家族の言ったことを忘れていたり、会話の理解がわるく、今までできていた作業がうまくできなくなったそうです。この方も診察時の検査で、たしかに記憶や計算の障害がみられましたが、頭のCTをとると一部に黒っぽい脳梗塞の跡がありました。これまで脳卒中は起こしたことはないそうです。最近ときどき脈が飛ぶことを感じていましたが、かかりつけの内科では相談していなかったようです。この方は脳神経外科に紹介し、結果、脳梗塞はそれほど古いものではないということがわかり、また不整脈が脳梗塞のきっかけになっているかもしれないとのことで、今度は内科を受診し脳梗塞の予防のために薬を飲むことになりました。認知症ではと疑ったときに、まず気をつけることは、急な変化ではないか、体調の問題ではないかと考えてみることです。急な変化である場合、たしかに認知症といえるような状態であっても、優先すべきは脳梗塞や原因となる体の治療です。急な変化や元気がないようなときは、まずは体の病気をうたがい、かかりつけの診療所や病院で相談してみてください。それから通院されている方なら最近変わった薬がないか確認してください。薬の影響で認知症のように記憶が悪くなったり、ちぐはぐな言動がみられたりすることがあります。風邪薬や頻尿の薬など、一見、記憶など脳の働きと関係がないような薬が原因となることがあるのです。認知症の診断や治療の開始はそれからでも遅くはありません。
(※実際の状況に基づき、年齢や状況など一部改変して記載しています。) 時数1083

認知症あれこれ(6)

相手目線に立って会話しましょう

 以前、認知症の症状について中核症状と周辺症状(BPSD)にわけて考えるという話をしました。認知症でほぼ必ずと言っていいほどみられる記憶障害は中核症状に入ります。では他に中核症状にはどんなものがあるでしょうか、たとえば言葉の障害(失語)について、ある方との会話の様子を例に考えてみます。
 70歳台の女性です。数年前に認知症を発症し病状はかなりすすんでいますが、家族の支援とデイケアや当院からの訪問看護を利用しながら単身生活を続けられています。いつも穏やかで診察のときもにこにこと愛想よく応じてくれ、一見会話はきちんと交わせるように見えます。しかし、言いたいことがこちらにはわかりにくかったり、こちらの話を理解しているかのようにうなづきますが、笑顔のなかにちょっと困ったような表情がまざることがよくあります。この方は片側の脳の一部(側頭葉)がとくに萎縮(ちぢむ)しているのが特徴です。
 言葉の理解に重要な部位は側頭葉(たいてい、右利きの方は左)にありますが、認知症の中でもこの場所がとくに強く障害されるタイプの病気があります。アルツハイマー型認知症とくらべると初期に物忘れはあまり目立ちませんが、失語や行動についての問題が目立ち、失語にも特徴があります。この方の場合、アルツハイマー型認知症の方でよくみられるような、会話の全体的な意味が理解できず、つじつま合わせのような返答をされるのとは違って、会話の中のある言葉の意味がわからない、自分が言いたい言葉(単語)がうまくえらべないことで戸惑ったり、言いたいことが伝わらなかったりしているのだと思います。そのような特徴があることに注意して、日々お付き合いをしていくと、この方が本当は何を言いたかったのか、会話の中でどこがわからなかったのか、話す言葉だけでなく、表情や態度から読み取れることがあり、そうすると言いたいことがわかるだけでなく、ご本人も混乱したり落ち込んだりせずにすむようになります。
 認知症の方が自分の症状を「ここがうまくできない」「そんな風にいわれても理解ができない」と説明することは困難です。こちらが病気の特徴について知識をふやし、ご本人の様子に照らしあわせ理解することが必要で、それには相手の目線に立ってみての想像力が大事なのではないかと思います。

認知症あれこれ(5)

記憶について

 今回は記憶の話です。たいていの方が認知症と聞いてまず連想するのが、いわゆる物忘れでしょう。そしてたいていの方が「あれ?大丈夫かな」と心配された経験があると思います。「あの人の名前がでてこない」「いま、何をしようとしたっけ」「どこに眼鏡をおいたかしら」といったことは、年ともによく経験することでしょう。これを読まれている方、あなただけではありませんから、ちょっと安心してください。認知症、とくに高齢者の認知症の半数以上の原因になっているアルツハイマー型認知症の場合、やはり初期の症状は物忘れからです。しかしこの時点で認知症の始まりか、年のせいなのか、区別することは簡単ではありません。もちろん、初期の認知症あるいは、その手前の状態(軽度認知障害)でも、先ほど言ったような物忘れはありますが、さらに、昨日病院にいったこと、2週間前に孫と遊園地にでかけたことなど、最近の体験そのものを忘れるようなことがおこります。“最近”と云いましたが、厳密な期間の決まりはないのですけど、私が外来などで質問するときは、2,3カ月程度前の出来事をお聞きします。また出来事の内容、例えば入院したとか孫が結婚したとか、そのようなかなり印象的な出来事と誰がいたとか、そこで何をしたとか具体的な内容をお聞きします。
 記憶というのは、まず新しいことを覚える(記銘)、それを保つ(保持)、そして思い出す(想起)という3つの段階があります。認知症の方の場合、新しく体験したことの記憶が残らないため思い出すことができないのが特徴です。たとえて言えば、買い物かごに商品をいれたつもりが、かごの底には穴があいていて、後でかごをのぞいても何にもないといったようなことが起こっています。一方、年をとって起こりやすい物忘れは、記憶は保たれていますが、すんなり思い出せないことが特徴的です。たとえば、かごの中に山づみの商品があり、探し出そうに目的のものがどこにあるかすぐに見つからない、そんな感じです。関係する脳の場所も少し違いがあります。先ほどの認知症の方の場合なら海馬(側頭内側)との関係が強く、「すぐに名前がでてこない」といった加齢で生じやすい“物忘れ”は前頭葉の働きと関係します。記憶する(記銘)ことは、本人の動機や関心の高さ、注意力にも関係します。そして前頭葉は動機や注意力とも関係する場所なのです。関心についていうと、「いくら言っても覚えてない。」と妻にいわれ、認知症を心配されてこられる方もいますが、聞き手がそのことに関心をもってちゃんと聞こう、覚えておこうと思わないと、聞いても覚えていないものです。妻にとって重要なことも、もしかしたら、ご主人には、実はどうでもいいことだったりすることもあるかもしれません。これをどの夫婦にも当てはまるわけではありません。読んだ後に夫婦げんかはしないでくださいね、お願いします。

認知症あれこれ(4)

認知症の症状

 認知症の病状は2つに分けられます。一つは記憶力や理解力、判断力、計算や道具をつかう能力の障害です。これらは認知機能障害といい、このために家事や仕事がきちんとできない、あるいは身の回りのことができない、つまり“生活に必要なことがきちんとできなくなる”という障害がおこります。認知機能障害のことは、従来、中核症状とよばれ、認知症の本質を示す病状です。もうひとつは、被害妄想や興奮、大声でさけぶ、徘徊といった病状ですが、先ほどの認知機能障害を土台として、周囲の環境への反応や対人関係に影響され生じてくる症状と言われています。これらの症状は、以前は先ほどの中核症状に対して周辺症状といわれてきましたが、現在は“認知症の行動と心理症状”あるいは“認知症に伴う精神症状や行動障害”と呼ばれ、もとになった英語のBehavioral and Psychological Symptoms of Dementiaの略語である“BPSD(ビー・ピー・エス・ディー)”と呼ぶことが一般的になっています。たとえば「財布がない」→「自分がなくしてはいない」→「家にいるのは息子」→「息子が盗った」と記憶障害という中核症状に端を発し、状況を理解するの「息子が盗った」という被害妄想を生じるということは反応性のBPSDと考えられますが、実際のBPSDは周囲の状況や対人関係に反応しておこるものだけでなく、たとえばレビー小体型認知症で特徴的な幻視などのように脳の障害そのものが原因で生じるもの、せん妄(病的なねぼけ)のように、不安など心理状況、あるいは脳血管障害、あるいは薬の副作用、体調不良といろんな理由でおこるものがあります。このBPSDの治療には、いわゆる抗認知症薬よりも向精神病薬や漢方薬が用いられることが多いのですが、これらの薬はBPSDのために作られた薬ではなく、眠気やふらつき、歩きにくい、食事をむせるといった副作用から転倒して骨折、あるいは肺炎を生じる危険もあります。徘徊や失禁、火の不始末には抗精神病薬は効きません。よくあるもの盗られ妄想についても、十分な効果がでないことがあります。しかし、たとえば「誰かがとったのでは」と思いつつも、興奮したり、介護者へ攻撃的な態度、拒否が減れば、妄想があるままでもかかわることができるようになります。BPDSの特徴をみて副作用に注意しながらつかえば非常に有用な薬ではあります。
 たとえばこんな方がいます。平素はおだやかな方なのですが、明日、デイサービスに来ていて「家が火事でもえている。すぐ帰らないといけない。」と興奮して訴えてこられました。家が火事というのは事実ではありませんが、今は興奮してなかなかこちらの話を聞いてくれません。ではどうしたらいいのでしょうか。認知症の原因になった病気、訴えてくる本人の様子、最近の出来事、介護者との関係、もともとの性格、服用している薬、体調などいろんな情報をあつめて判断します。また、だれがかかわって、どのように生活しているかによっても治療の選択はかわってきます。積極的に薬を使う方が良いこともあれば、対話をつづけおちつくのを待つべきときもあります。あるいは介護をしている方への説明や対処法についての助言が最も重要なこともあります。本人のことをよく知っていること、認知症やその治療のことをよく知っていること、それぞれ片方だけではBPSDへうまく対処できません。その両方をかみ合わせることで、日々のかかわりが、その方にとっての最良の治療やケアにつながるのだと思います。

認知症あれこれ(3)

家族でなければできないこともある

 認知症は、今のところ根本的な治療法はなく、進行していく病気です。病院に受診しても、病気を治すことはむずかしいのが現状です。しかし、受診がきっかけで病気との向き合い方、家族としての関わり方を見直す機会になることがあります。このような相談がありました。患者さんは70台 後半の女性です。数年前までは軽度の物忘れ程度でしたが、1年程前より急激に病状が進み、そこで初めて病院を受診し、アルツハイマー型認知症と診断されました。抗認知症薬を処方され飲んでみましたが、怒りっぽくなってしまい服薬を中止せざるをえませんでした。夜中に大声で怒鳴ったり、汚れた下着をあちこちに脱ぎすてたりして、ご主人は身のまわりのお世話をしようとするのですが機嫌が悪いと怒鳴りつけられ、叩かれたり、といったことが日常になっていました。デイケアやデイサービス、あるいは訪問介護を利用しようにも、ご本人は、がんとしてうけつけません。不機嫌さや攻撃的な態度を変えたいと病院で向精神薬をもらいますが、これもなかなか飲んでくれません。このままでは共倒れになるとご考えられた息子さんからの勧めで当院へ受診され、入院を決断されました。入院してみると、いたって穏やかで、職員ともよく話しをし、他の患者さんには気遣うような発言も多く見られました。当然、興奮を抑えるような薬は全く処方する必要はなく、内科でもらっていた高血圧や糖尿病の薬もきちんと飲んでいただけました。しかし、ご主人には、いつ退院できるのか、など毎日、日に何度も電話をかけられ、そのたびにご主人は退院させたほうがいいのかと職員に尋ねてこられました。ご主人と面談すると、本人がああ言った、こう言った、自分はどうすればいいのかと同じ悩みの繰り返しでした。入院することで一時的にでも介護負担が減ることを期待したのですが、ご主人は気が休まらず、苦悩がさらに深まっていくようでした。
 ご家族は、患者さんのことを少しでも良くしたいと思うわけです。それは、至極当然のことであります。しかし、時にはそのことが今の患者さんを受け入れることをむずかしくしていることもあります。患者さんの要求を満足させることが自分のすべきことと考えることも、決して間違いではありません。しかし、それが出来ないとき、できないことで自責の念にさいなまれるか、かえって患者さんに怒りをぶつけるか、このような介護者の苦悩は珍しいものではありません。この患者さんのご主人の場合、私たちとの面談中で、今の奥さんのありようを受け止める事、今、ご主人にできることは、要求をみたすことではなく、訴えを聞いてい上げること、見捨ててない、大事に思っている事を伝えること、それは家族でなければできないことであると考えていただくようにしました。家族だけで日々の介護をしていると、どうしても深い井戸に落ちたような状況になっていきます。現実が変わらなくても、視点が変わるだけで、おおげさかもしれませんが、見えている世界がかわることもあると思います。

認知症あれこれ(2)

認知症の薬物治療について

 認知症の薬物治療の目的は大きく分けて2つあります。1つは、認知機能障害(記憶障害、見当識障害など)の改善、もう一つは認知症にともなう精神症状と行動障害(幻覚・妄想、興奮、不眠など)の改善です。前者には、抗認知症薬が用いられます。現在、本邦では4剤が使用されていますが、いずれも症状の改善は見込めても、根本的に病気を治したり、進行を止めたりはできません。後者については、抗認知症薬も使われることはありますが、多くは、抗精神病薬や抗うつ薬などの向精神薬や漢方薬が用いられます。ただし、薬物では改善が困難な症状もあり、また副作用も少なくありません。さらに抗認知症薬を含め、治療のために使った薬はかえって症状を引き起こす、悪化させる場合もあります。
 ここで患者さんの例を紹介します。70歳代の女性で夫婦2人暮らしです。数年前からアルツハイマー型認知症を発症され、かかりつけの診療所から抗認知症薬が処方されていました。数ヶ月前から不安や気分の落ち込みがみられたり、夫に攻撃的になったりして、抗うつ薬や漢方薬が処方されました。さらに興奮や不眠がみられ、睡眠挿入剤や抗精神病薬も追加され、興奮はへりましたが、食事をとらず拒否的で夫の介護をうけつけなくなり、在宅生活が困難となり、当院へ紹介されました。この方の場合は夫が介護に疲弊しており、入院をしていただくことになりました。入院後はほとんどの薬物をいったん中止し、ご本人の病状をよくみて、関わり方や食事内容などを工夫することで食事をとっていただけるようになりました。当初は落ち着きなく病棟内を徘徊されていましたが、次第にソファーにすわってくつろぐ時間もてるようになり落ち着きをともどされました。その後、試験的な外泊を繰り返しながら、在宅での介護サービスの見直しを行い、少量の抗精神病薬のみの処方で、自宅に退院されました。
 症状が変化していくなかで使っていた薬物の見直しが困難なことは少なくなく、状況は混乱を極め主治医の先生も介護する家族も何をどう対処していいのかわからず途方にくれてしまうことがあります。認知症を根本的に治すことができなくても生活の質を維持する、あるいはできるだけ長く自宅での生活をつづけていくために薬物治療は有用であり、その有用性を引き出すためには、薬物を使うべき症状と効果や副作用の見極めが重要だと考えます。

認知症あれこれ(1)

認知症の診断で大切なこと

 認知症は、だれにでも起こりうる病気です。病気のことや治療、ケアの話など、書店には専門書から読みやすい解説書まで様々な書籍がならべられており、くわしい内容のTV番組、専門家の講演会、インターネットで国内外の最新の情報が自宅で手に入り、医療や福祉関係の方でなくても、かなりの知識を持たれている方が少なくありません。しかし実際に認知症にかかわっている者としては、なにかそれらの情報が独り歩きをして、誤解をされている節があるようにも感じます。たとえば診断です。昨今は、画像検査の技術が進歩し、かなり早期に病気の可能性について指摘することができるようになっています。認知症の原因として最も多いアルツハイマー型認知症(アルツハイマー病)であれば、MRIで海馬という記憶に重要な部位の周辺の萎縮(縮み)の程度、あるいは脳の萎縮がほとんどなくてもSPECT(脳血流の検査)で血流の悪い部位をみつけ診断につなげることができます。ただし、それはあくまで実際の症状、生活面でみられる記憶や判断力、会話の理解などの変化をきちんと把握した上でなければなりません。生活上の変化や支障がいつから起こったのか、どの程度の変化なのか、生活習慣や体の病気、飲んでいる薬も重要です。また、「物忘れ」が病気の症状ではと心配され受診されることが多いのですが、ご本人だけ、あるいはご本人のことはよく知らない方がついて来られ、いろいろなことを聞いていも十分に情報が得られないことがあります。認知症の相談では、ご本人だけでなく、ご本人のことをよく知っている方と一緒に行かれることをおすすめします。それから、補聴器やめがねも大事です。心理検査や質問もしても、答えられないときに、理解できないのか、見えない、聞こえないのかがわからないからです。医学の進歩は目覚ましく、そのうち薬で認知症を克服することができるようになるかもしれませんが、今はまだ、検査一つで認知症とわかる時代ではないのです。

認知症のはなし(8)

 認知症の症状は、何らかの治療をこころみた時に効果がありそうな症状と効果が少ない症状とに分けられるという話を以前参加した日本認知症学会で聞いた。
 ここでいう治療とは、薬による治療だけでなく、回想法や作業療法などの非薬物的アプローチを含めて指す。それらを含めて治療的な介入と呼ぶ。介入のしやすい症状として、幻覚・妄想、落ち着きの無さ、焦燥、易怒性、脱抑制、発動性低下、攻撃的行動、不安、不眠などがあげられる。介入しにくい症状は、介護抵抗、無頓着、病識の無さ、徘徊、帰宅願望などである。異食行動や性的逸脱行為、物の取り込みなども後者に分類されるのではないだろうか。認知症に治療はなくあるのはケアのみ、と考えられている方が多いと思うがそうではない。このように認知症の症状の中でも、なかなか困難だけれど治療によって改善する症状はありますよ、という話。毎日の診療の中で、同じようなことを感じていたので、とても納得できる内容だった。
 講師は触れなかったが、わたしなりにこの二つを分けるものは何かを考えてみた。当たり前のことであるが、苦痛な状態から安楽な状態へ、不安な状態から安心な状態へ、不快から快へ、と治療のベクトルが向いていれば、何らかの反応があるはずだ。周囲の者が困るだけでなく認知症の人にとっても不快な行動や状態は、治療に反応する可能性がある。精神の症状には「こだわり」が関係していることが多い。とくに治療抵抗性に分類される症状は、その人にとって重要なことであり、簡単に手放すことのできない行動や状態であるのかもしれない。お風呂に入りたがらない、夕方になって「帰る」と言って玄関から出て行く、大事なものを盗まれたと訴える、点けている電灯を家中消して回る、など。症状には意味がある。忙しい介護の現場ではそのように考えるゆとりはないのだが、時に考えてみる必要がある。

認知症のはなし(7)

 数年前より認知症に関する講演を頼まれるようになり、年に何度か公民館とか保健センターに呼ばれて話をする。できるだけわかりやすくと心がけているつもりだが、自分の知識をできるだけ多く話そうと欲張り、一般の方には難しい所もあるだろうと反省する。
 認知症になると、記憶障害だけでなく、判断や認識が誤ってしまい、別の行動パターンをとるから、家庭生活や施設等での生活が出来なくなる。講演では、この「記憶の問題だけではないのですよ」という点を強調する。誤った判断で、正しくない認識で、話をし(作話)、考え(妄想)、動き(徘徊)、人間関係を持つ(攻撃、性的接近等)ことから、症状が発生する。そこには、元々の性格傾向と不安の強弱が微妙に絡み合い、症状は日々変動していく。また、相手によっても症状の度合いが違ってくる。だから、介護保険の要介護認定では、訪問調査員の前では穏やかに紳士然としてふるまっていた男性老人が、調査員が帰った途端、大声で妻を起こり散らすなどという光景が日常茶飯事となる。
次に、参加者全員に認知症のチェックをやってもらうことにしている。テストは、外来で用いるMMSE(ミニメンタルテスト)である。鉛筆を目の前にして「これは何ですか」などと言う質問は、「ばかにしているのか」と怒られそうだが、この質問にもりっぱな意味があり、脳血管性障害などではこれが出来ないことがある。また、「100-7は?」などの計算も自尊心を傷つける質問である。民医連の雑誌「いつでも元気」で99歳の詩人、柴田トヨさんの特集があったが、「先生に」という作品にこういう一節がある。
 私を おばあちゃん と 呼ばないで 「今日は何曜日?」 「9+9は幾つ?」
 そんな バカな質問も しないでほしい

聞くほうも答えるほうも苦痛をともなうテストではある。しかし、認知症の診察では、頭部CTなどの画像診断だけでなく、やはり、問診やこの認知症の検査は欠かせないである。

認知症のはなし(6)

 当院への入院や外来診療の相談は、多くの場合ご家族からの依頼で始まる。だから、家族との関係は密接で、これまで当院では認知症の家族の支えになるよう、いろんな活動をしてきた。特に、家族会の開催・運営は開院以来、力を入れておこなっている活動である。しかし、このような直接的な家族への働きかけでなくても、日常のなにげない診療が家族を支え、感謝されることがある。
 たとえば、外来で家族の方に「母が認知症と診断されることで救われた」と言われたことがある。通常では理解しにくい親の振る舞いが認知症の症状だとわかり、もやもやした気持ちが晴れたと話してくれた。そういうこともあるのかとそのとき思った。幻覚や妄想が強いレビー小体型認知症やワンパターン行動を繰り返すピック病などは、その特徴を知ることで対応まで変わってくるから、診断も重要なのである。「診断しても治るわけじゃないから」と診断を軽視する人もいるが、治療の方法が少ないからこそ、病気の診断が重要と言えるかもしれない。
 また、病院への入院の判断に関して、患者さんの病状からその必要性を検討するのは言うまでもないが、それだけで決めているのではない。家族の疲労度や周囲の支援の状況も当然考慮する。しかし、この際いつも気をつけていることがある。家族の介護負担の軽減を考えるあまり、認知症の患者さん本人にとって不利益な処遇を決定していないか?ということだ。生活する環境が変わることで認知症の程度が悪化してしまう事例をたくさん経験してきた。かっこよく言うとロケーションダメージと言うそうである。病院に入院するということがロケーションダメージにつながる。これは致し方ない面も確かにあるのだが、それ以上のプラス面を提供できる入院としたい。いつもそう思って診療をおこなっている。

認知症のはなし(5)

夕暮れ症候群

 前回紹介した徘徊の原因の中で一番多くみられるのは、⑤の「帰る」「行く」に基づく徘徊だろう。認知症の中期にさしかかった頃、「帰らせてもらいます」あるいは「これから○○へ行く」といって自宅から出て行こうとする。自宅にいるのに「家に帰る」というのだから、相手は困惑する。「ここはあなたのお家ですよ。それもわからなくなっちゃったの」と言うのが一番よくない対応とされているが、そう言いたくなる気持ちはわかる。
 これらの症状は場所の見当識障害とともにあらわれてくる。それにしても毎日住んでいる自分の家がわからなくなるというのは、認知症が進んだ印象を与え、家族にとってもショッキングなことだと思う。しかし、少し冷静に観察してみると、24時間いつもわからないわけではない。朝から「帰ります」という人はまずいない。夕方症候群あるいは夕暮れ症候群といわれるように、多くの場合、日が暮れかかる頃に「では、そろそろ帰ります」と言い出すのだ。「どこに帰るの?」とたずねると、何十年も前に住んでいた古い家だったり実家だったりすることが多い。感覚としては、何十年も前にタイムスリップしているわけだ。だから、今いるところは自宅ではなく、他人の家となる。他人の家だから、夕方になったから帰りますと言うのだ。
 では、こういう症状に対してどのように対応したらよいのだろうか。杉山孝博先生がすすめる対応策を紹介する。第一ステップは、この見当識の間違いを訂正しようとして「古い家はとっくに取り壊して今はありませんよ」などと説得しないことである。第二ステップは、「この人は遊びに来ているつもりなのだ」と本人の世界に合わせることだ。遊びに来ているお客さんを足どめする一番いい方法は、お茶やお菓子を用意すること。食べたり飲んだりしながら昔話や本人の得意な話題にもっていく。これで気分が転換し「帰る」こだわりが済む場合もある。済まない場合は、第三ステップとして「では外も暗いから、送っていきましょう」と一緒に町内をくるっと回ってその家に「ただいま」と帰ってくる。その頃にはもう「帰る」とは言わない。こだわりは数時間でおさまることをご家族に経験してもらうことが大事である。

認知症のはなし(4)

 先日、徘徊を経験した。こう書くと「また大げさなことを」と言われそうだ。まあ、確かに「徘徊」と言うのは少しオーバーかも。しかし、自分が住んでいる街で道に迷い、目的地に所定の時刻に到着しなかったのだから、ショックな出来事であった。道中とても不安で、何とか自分の力で目的地に辿り着こうと必死だった。しかし最終的には、恥をしのんで友人に携帯で電話し、誘導してもらった。認知症の人の徘徊の場合は、そういう道具を利用できないから、何キロメールも離れたところで警察に保護されたりする。
 以前に夜間に街を歩いていて、老女がフラフラとアーケード街をさまよっているところに出くわした。着ている服の乱れた様子や表情などから恐らく認知症の方だろうと想像した。声をかけ警察か家族などに連絡をとるのが正しい対応だとは思うが、その時は声をかけられなかった。言い訳になるが、声のかけられる雰囲気ではなかった。なにか一心不乱な様子で、わき目も振らず、道の真ん中を早足で去って行った、という印象であった。
 さて、小澤勲という精神科医によれば、徘徊はつぎの5つに分類される。①徘徊でない徘徊、これは迷子になり帰れなくなった状態を指し、まさしく私が経験したものだ。②反応性の徘徊、これは入院やショートステイなど急な環境変化に伴うもの。帰宅要求が強くなり、病院内や施設内をグルグルと出口を探して歩きまわる。③せん妄による徘徊、これは意識障害によるもので、夜間に多く見られる。④脳因性の徘徊、これは前頭葉を中心とする脳の一次的症状としての徘徊。⑤「帰る」「行く」に基づく徘徊、これは見当識障害や夕方症候群にともなうものである。先にあげた老女はこのタイプなのでは、と推測する。
 私の場合も、この老女の場合も、徘徊している最中は必死であり余裕がない、というのが共通である。病院でも徘徊している人を多く見かけるが、あまり楽しそうに余裕を持って徘徊している人は少ない。(次号につづく)

認知症のはなし(3)

(前回のつづき)
 また、こんな老女も外来を訪れた。身寄りがなく、施設に入所している90歳を超えた女性。いつお迎えが来るか不安であることを繰り返し訴える。時には涙を浮かべて。「もうすぐ死ぬんじゃあ、怖いんじゃあ」一日中この言葉を繰り返す。その訴えは切実で、なんとか助けてやらねばと思うが、訴え自体は事実に基づくものであり、医療の力ではその不安を解決することはできないとも思うのである。こういう人を認知症と呼べるだろうか。ボケていないからこそ、近づく死が怖いのではないだろうか。
 認知症を「脳の早い老化」とするならば、90歳まで健康な頭脳の持ち主を認知症と呼ぶことには抵抗感がある。これらの老人は知的な機能低下は軽く、特に昔のことはびっくりするほど覚えている。老人の知恵ともいうべきものを備えている。あえて病名をつけるなら「超高齢者の不安障害」とでも呼称するか。まあ、病名はともかく、長生きされた高齢者が不安や恐怖で悩む姿は、ある意味で人間の生きる姿のようなものも感じるのである。
 高齢化する社会、また孤立化する世の中で、こういうお年寄りは増えるのであろう。医療だけで片づける問題ではない。ある種の社会問題である。認知症であるそうでないか?病気であるかそうでないか?と考えるよりも、安心して暮らせる世の中を作ることでないだろうか。いささか偉そうな結論になってしまったが、本当にそう思う。

認知症のはなし(2)

超高齢者

 前回、認知症と老化の話をした。昨今では、老化の前の段階で発症する若年性認知症が話題を呼んでいる。これについては、次回に触れるとして、今回は、90歳台の超高齢者の話をしたい。またカタイ話になって恐縮だが、「高齢者の定義は65歳以上、その中で75歳以上を後期高齢者、それから85歳以上または90歳以上から超高齢者とする」という老年医学の定義がある。わたし自身は90歳以上の人を「超高齢者」として、それ以下の年齢の人と分けたいと感じている。少なくとも認知症や精神科的な観点からすると、そこで線を引くことができる気がする。
 それまで知的な衰えがあっても年齢相応でしかなく、90歳を超えてはじめて何らかの精神的な問題を抱えて外来に来られるご老人が増えた。具体的には、こんな人である。一人暮らしの90歳を超えた男性。タバコの灰で座布団に穴があくなど、火の不始末の心配もあるが、ヘルパーなどの援助を嫌い、何とか一人で気ままな生活をおくっている。自由と孤独をこの人らしく味わっているようで、ある意味うらやましい気もしてくる。もちろん、少し記憶も衰え、昔のことを今現在おこっているかのように話される。もうすでに死んでいる妻が生きていると言い、お線香をあげつつ妻と会話する高齢の男性。「話しかけると返事してくれるんじゃあ」と、にこやかに笑顔でその様子を教えてくれる。こういう人を認知症と呼べるだろうか。願望に伴って聞こえてくる亡き妻の声を幻聴とよぶべきであろうか。

認知症のはなし(1)

老化ってなんだろう

 私、ただいま48歳。「まだ若い」と言われたり、「中年」「オッサン」と言われたり。評価はいろいろ、定まらない。しかし、老化はすでに始まっている。少なくとも、私自身は老化を意識している。それにしても老化って何なのだろう。
老化:生物学的には時間の経過とともに生物の個体に起こる変化。その中でも特に生物が死に至るまでの間に起こる機能低下やその過程を指す。(Wikipediaより)
 まったく無味乾燥で面白くともなんともない説明であるが、残酷なまでに正しい定義である。ちなみに2009年の経済協力開発機構のデータによると、日本の平均寿命は82.6歳。(男性79.2歳、女性86.0歳)つまり、47歳という時点は、生命が誕生する瞬間よりも死ぬ瞬間に近いのである。
 日本人の平均寿命は加盟30カ国の中ではナンバーワンであり、我々は世界一の長寿で健康な人種なのだ。医療や保健活動が未熟だった時代、日本人を怖がらせる病気は結核であった、その次には脳卒中。そして、その次は心筋梗塞などの心臓病。しかし、医療水準が向上し、それらの病気はある程度克服できるようになった。現在、我々の前に立ちはだかる疾患はガンであり、認知症なのである。
 大変前置きが長くなってしまったけれども、高度医療を誇る日本においてもいまだ克服できないのが認知症なのである。では、質問。認知症って何なのだろう。いろんな定義があるが、ここでは京都市の盛林診療所前所長(民医連所属、2010年3月閉院)の三宅貴夫先生の定義をご紹介する。
認知症:一度獲得した知的機能(記憶、認識、判断、学習など)の低下により、自己や周囲の状況把握・判断が不正確になり、自立した生活が困難になっている人の状態
 この定義のポイントは、次の2点。
①記憶や認識などの機能をいったんはキチンと獲得していなければならないこと
②自立した生活が困難になっていなければ、認知症ではないということ
続きは次号で。お付き合いよろしくお願いします。(つづく)

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